木曜日の朝、とても早くに目が覚めました。車内は眠るにはあまり快適ではありませんでした。川を渡り、クラークストン(ワシントン州)のお土産店の裏側にあるカフェで朝食をとりました。朝食は安く、量がたっぷりあり、人々は親切でした。ウエイトレスにヘルズキャニオン国立公園を目指して南に向かっていると話すと、ジョセフ(オレゴン州)近くのワラウア湖を勧めてくれました。旅行途中、パルースを通りました。パルースはワシントン州東部、アイダホ州西部、そしてオレゴン州北部の小さく滑らかな丘がどこまでも続く地域です。この土地は小麦農場が盛んです。道路からの眺めは数マイルにおよび同じ物です。

南に向かって車を運転して行くと、周囲が終わることのない小麦畑に囲まれて、低地に広がるパルースの単調な風景になりました。

途中、停車することなく、ジョセフ(オレゴン州)まで南に向かって運転しました。この町の名前は、19世紀後半に自分達の土地から部族を遠く離れた小さな居留地へ移住を迫られ、合衆国軍に平和的抵抗したアメリカ先住民ネ・ペルセ族のチーフ・ジョセフからつけられました。彼の部族の多くは、この権利侵害に対して戦線を布告したいと思いましたが、チーフ・ジョセフは平和を勧告しました。終に、小さなこぜりあいがあり、戦争が始まりました。彼の部族は合衆国軍の追撃でカナダに逃げました。ネ・ペルセ族は十分な毛布または食べ物がなく、多くの人々が餓死しました。カナダ国境から40マイルのところで、チーフ・ジョセフの報復した際の有名な言葉があります「私は疲れた。私の心はつらく悲しい。今太陽があるところから先は金輪際戦わない」
ネ・ペルセ族のチーフ・ジョセフの部族は、オレゴン州東部のワラウア湖地域に住んでいました。冬期間中、部族の人たちは寒さを逃れるために丘と高原からこの谷に移動します。現在、この谷はチーフ・ジョセフ・キャニオンと呼ばれています。
さらにジョセフへの道路に沿って行くと、温度が下がり、空は曇り、霧が出てきました。空を見上げると、とても高く浮かぶ変な形をした雲を見つけました。そして、空を再度見ました、それらはワラウア山脈の山頂にある雪だまりでした。
ジョセフで何が起きるか見当がつきませんでした。ジョセフは「ウエスタンをテーマにした」町でした。主に興味を引く物は、スタボーン・ムル・サルーン&ステーキハウス、ケトル・カントリー・キルト、アウトロー・レストラン&サルーン、アイロン・ハウス・マーカンタイルのような名前を連想させる、レンガまたは丸太小屋でできたお店の前面です。全てがとても良く、人々は親切です。私は本物のネ・ペルセ族の歴史を探しているのに、何も見つけませんでした。歴史を探す場所は、現在ネ・ペルセ族のチーフ・ジョセフの部族が住んでいる、ここから300マイル離れたワシントン州東部のコルヴィル・インディアン居留地だと思いました。
ジョセフの町を通過してイマンハ高速道路に沿って東に向かい、そしてワラウア山脈道路を南へヘルズキャニオン国立公園に向かいました。雨が土砂降りになり、霧がまた出てきました。数マイル進んだ後、道路標識が下の写真のようになってきました。
地図を見るために停車すると、1台のトラックが私の車の隣に停車しました。トラックの運転手は私が助けを必要としているかどうか確認しました。私はヘルズキャニオンへはどこを行くべきか聞くと、トラックの運転手は私の車を見て笑いました。「少なくともあと1ヶ月はこの道を通ることができないでしょう」と、彼は言いました。
ヘルズキャニオン国立公園を通過しながら、ヘルズキャニオンで数日キャンプをして、ヘルズキャニオン国立公園南部側に出て、ボイジー(アイダホ州)まで旅行を続ける計画を立てていました。しかし、今、来た道を逆戻りして、州間高速道路84号線まで西に戻らなくてはならなく、そしてヘルズキャニオン南端部へと東に向かう必要がありました。約200マイル(330 km)私の計画より離れている、または5時間半のドライブです。
朝食を食べたレストランのウエイトレスのアドバイスに従い、ジョセフの真南にあるワラウア湖でキャンプをすることに決めました。ここでキャンプをして良かったと思いました。ネ・ペルセ族がなぜこの地を去ることを拒否したか理解することができます。


ワラウア湖はとてもすばらしかったです。また晴れてきました。テントを張っていた時は小雨が降っていましたが、すぐに雨はやみ、晴れてきました。
これだけがワラウア湖に滞在した理由ではありません。天気予報では寒く雨が降るとあり、キャンプ場にはたくさんのRVがありましたが、他に1つだけテントがありました。他のテントでキャンプをしている人たちのキャンプファイヤーが暖かく見え、私は声を掛けに行きました。MikeとMarkは兄弟で、彼らはモスコー市にあるアイダホ大学をちょうど卒業したMarkの娘を迎えに行くために、オレゴン州内を旅行していました。MikeとMarkはオハイオ州の小さな町出身で、彼らは幼い時旅行しながら国内を回る曲芸家族の一員でした。高校生になった時には、「曲芸」をしながら全49のロウアーステート(アラスカ以外)を旅行しました。彼らは頻繁にテレビに映り、当時彼らはとても良く知られていました。そして高校卒業後、Mikeは曲芸を終え、西海岸を見たいと思いました。彼は1人で旅行に出かけました(私の旅行と逆方向に)。最終的にユージーン(オレゴン州)に落ち着く前に、アメリカ西海岸の至る所を旅行しました。やがて、彼の兄弟と両親たちがやって来ました。現在、彼の全ての家族がユージーン地域に住んでいます。
だんだん暗くなって来ました。近くのエンタープライズ(オレゴン州)の町まで夕食に行くことを計画しました。私はMikeとMarkにそのことを話しましたが、彼らは私を行かしてくれませんでした。彼らは私に夕食を作りたいと強くおしました。そして、リブアイステーキ、ジャガイモ、ズッキーニ、セロリー(お母さん、見て下さい。野菜を食べています!)、チップス、ビールを頂き、すばらしい人たちとの交流でした。MikeとMarkは本当にアウトドアが好きで、人生にある意味深い敬意を持っている、とても興味深い人たちです。彼らからたくさんのことを考えさせられました。
訳:Yoko Sugiyama